Days

綴っていこうと思う。

ブログを書かないととかポートフォリオも更新しないとなんて思いながらもダラダラと放置をしていました。そういえば二十代の頃、知人男性が裸で首輪をつけられた状態でホテルの廊下に放り出されたという放置プレイ話を嬉しそうにしていたのを聞いたとき、わたしは放置プレイの趣味はないなと確信したのですがホームページは放置をしてしまった。人生ってわからないものですね。

まあ、そのようなコトはさておきFacebookやInstagramは日に何度も投稿しているのにブログとなると、なんだか変に構えてしまって『〜しないと』って気持ちになるのはなんでだろうって考えてみたら、突然ニュータイプのアレみたいな感じでピキーンと閃いた。わたしがブログを書けないでいたのはとっても単純な理由で、単にわたしが変わり者なだけだった。ズコー。いや、これワリと真面目な話なのですけれど、昔々インターネットに文章を書くことに夢中になっていた(ネット弁慶が故に)1999年からの10年間ってほぼ毎日ネット上に文章を書いていて、発信することが楽しくてたまらなかったのです。ニッチな世界なりにそこそこの知名度がある方だったのもあり発信すれば良くも悪くも何かしら反応があるのも楽しかった。でももう随分と前からブログを書くことって特殊なことではなくなっているし、ブログで集客とかが当たり前になっていて、それが何だかわたしには違和感があってモヤモヤとしていたのです。

例えば、ブログに書いてある文章が超おもしろかったりステキだったりしていたら「ステキ!抱いて!」って気持ちになるくらいそれを発信している中の人のファンになっちゃうのだけれど(実際に抱かれたいワケではないですよ。エアです。エア抱かれです)わたしが知っている限りのブログの八割くらいは、ふんわりとしたイベント宣伝だったり、ふんわりと何かを販売したいだけだったりで心に響かない。当たり前のことだけれど心に響かないとその人のファンになれないのです。ついでに書いちゃうと、ふんわりと宣伝する人よりも「ガッツリ儲けたいからイベントに来てね!」くらい書いてくれる人の方が変態のわたしとしては「わあー!何この人!銭ゲバでおもしろい!」と俄然興味が湧きます。おそらく少数派だとは思うけれど。話がそれちゃいましたが、まあ、わたしも個人で細々とお仕事をしている身ですのでブログに変なことは書けないなとか、ブログで集客しなくちゃ仕事がなくて死ぬー(死なないけれど)とか考えちゃって、結局それが自分の言葉や心ではないことを発信するストレスがかかりブログが書けない病に繋がっていたのです。

ですので、もう楽しんでしまおう。FacebookもInstagramも完全にプライベートなことばかり発信しているし、わたし自身が楽しめないと他の誰かを楽しませることなんて無理なのだと思うし、塩がなければ戦えないとホワイトベースの料理長タムラは言っていたけれど、ブログで集客できなくても戦えないわけではないし、そもそも戦う気なんてないのだし。楽しみたいの。誇りたいの人生を。誇りたいんだよぉ〜!キン肉マンとの戦いを(血の涙を流しながら)

と、いうワケでデザインのお仕事は常に募集しております。

2016-11-25 | Posted in DaysComments Closed 

 

逆断捨離。

新しくソフトを覚える機会があったので、普段は買わない操作マニュアル本を購入した。マニュアル本を読むまでは少し輪郭がぼやけていた感じだったのだけれど、購入したマニュアル本がたまたま良かったのか自分に合っていたのか、堰を切ったように「こういうことかー!」と理解できました。

この急に視界が開ける感じというか、頭の中で文字の洪水が起こるような感じというか、JOJOの岸辺露伴のヘブンズドアーのような感じというか、これがとても心地よい。アウトプットすることよりもインプットするほうに興奮を覚えるのは、イメージを具現化していくデザイナーとしてはどうなのよと思ったりもするけれど、まあ、これは性分なので無理に変えることはできないのだろう。話は少しそれるが、三月は誕生月なのもあって少し特別な気持ちになる。何か具体的な目標を持っていないけれど、43歳になるまでの一年間を健康で穏やかに暮らしたいのと、いつかアウトプットする日のために、この一年もどんどんインプットをしていきたい。

インプットしたものが頭の中で雑然としているので少しばかり整理をしようと思いノートに書き出してみた。書き出すことで頭の中が整理整頓された本棚のようになる気がしたからだ。結果は逆にどんどんアレコレと追加されていく逆断捨離だった。一時期、モノを持つことが恐怖というか、モノを持つ自分に対しての嫌悪があって(少しばかり疲れていたのだと思う)モノをどんどん処分した。モノが減ることによって部屋はとてもスッキリとしたし余分なモノを買わなくなった。けれども気持ちはスッキリしなかった。断捨離がダメっていうのではなく、これって自分に合ってなかったというだけの話なのだけれど、まあ、そのような経験を経て現在は逆断捨離な生活をしているわけです。

モノを持つことも、わたしの中ではインプットなのだろう。たぶん。きっと。

2016-03-28 | Posted in DaysNo Comments » 

 

アゲハ ~これからの君と僕のうた~

2016年は随分スロースタートだなぁなんて、のんびり構えていたらもう二月の半ばにさしかかっていた。これはのんびりと構えている場合じゃないぞということで、がんばります。はい。

デザインの仕事をしていて今更感があるのかもしれないけれど、InDesignを使ったことがなくって勉強を始めました。勉強を始めるといいますか、いきなり実践で使います。たぶん大丈夫。使えなかったら大丈夫な状態ではなくなるので、きっと突然チャクラが開くことを期待しながら作業をしていこう。年齢を重ねるにつれて記憶するという作業が苦手になっているのは気のせいじゃないとは思うけれど、年齢を重ねても何かをインプットしていくのは好きだしワクワクする。それをアウトプットできればもっとワクワクするのだろうな。上手にアウトプットも出来る自分になりたい。アウトプットをうまく出来るようになれば、少しは自分に自信がつくかな。性分的に自信がついても天狗になることはないと思うけれど、自分に自信がついても、まだまだ自分は無知なのだぞということを忘れない自分でありたい。

夕方に、昔買ったCDをゴソゴソと出してきて、岡村ちゃんは天才だなとか思いながら聴いていた。聖書もカッコイイしイケナイコトカイも岡村ちゃんが歌うのが一番好き。FLYING KIDSだって今聴いてもめちゃくちゃカッコイイなぁなんて思っていたら、アゲハ〜これからの君と僕のうた〜のイントロが始まって、心がギュッとなった。この曲を聴くと不器用な生き方をしてきた自分でも頑張れるんじゃないかって気持ちになる。と、同時にこの曲を含むいろんな曲をCDに焼いて渡してくれた人のことも思い出した。そのCDの最後の曲がアゲハだったんだ。結婚しようって言ってくれたあの人と一緒になっていたらどんな今があったのだろうなんて想像するのはナンセンスなのでやめた。

わたしは今がしあわせだし、常に今を大切にしたいのよ。さてと、眠気覚ましのコーヒーを淹れよう。

“胸にてをあてて 誓いをたてよう

振り返ることを知らない 前しか見ぬ馬鹿であれ

冬は訪れる そして過ぎるから

何がおきてもいつでも 前しか見ぬ馬鹿であれ”

(FLYING KIDS アゲハ〜これからの君と僕のうた〜より引用)

2016-02-11 | Posted in DaysNo Comments » 

 

好きなものを自由に。

utsuwa

 

 

 

 

 

 

 

 

この土曜日は陶芸家さんの展示を観に、高砂のカフェに行きました。古民家を改装されたカフェで、内装は和モダンな印象でした。とても細やかで丁寧なおもてなしをしていただいて嬉しかったです。わたしも見習わねばですね。そんなステキな空間の中に、ステキな器がたくさん並んでいました。器をみているとドキドキとするのですが、シルエットや質感にときめいているのだなと気付きました。わたしは椅子に対してのフェティシズム(性的な意味合いのではなく)があるのだけれど、器に対しても同じだな。たぶん。

フェティシズム云々はさて置き、わたしが何かを購入するときって、もちろん自身が気に入ったものというのが前提にあるのだけれど、誰から購入するかというのも理由のひとつです。ステキだなと思う方から、ステキだなと思うものを買いたい。お酒も器もコーヒーもステキな方と巡り合えたので、日々に楽しめているのですよね。しあわせだわ。

写真は今回観に行きました作家さんの器です。丸い器は、横からみたシルエットが特にうつくしくって気に入っています。。四角いお皿は、何かをチョコンとのせたい。気さくな小さなクッキーやチョコレートでも、おすまし顔になるはず。

2015-11-29 | Posted in DaysNo Comments »